2008年12月5日金曜日

不服2006-26995

【管理番号】第1183128号
【総通号数】第106号
(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許審決公報
【発行日】平成20年10月31日(2008.10.31)
【種別】拒絶査定不服の審決
【審判番号】不服2006-26995(P2006-26995/J1)
【審判請求日】平成18年11月30日(2006.11.30)
【確定日】平成20年8月14日(2008.8.14)
【審決分類】
P18  .121-Z  (C21D)
P18  .113-Z  (C21D)
P18  .537-Z  (C21D)
【請求人】
【氏名又は名称】新日本製鐵株式会社
【住所又は居所】東京都千代田区大手町2丁目6番3号
【代理人】
【弁理士】
【氏名又は名称】志賀 正武
【代理人】
【弁理士】
【氏名又は名称】高橋 詔男
【代理人】
【弁理士】
【氏名又は名称】青山 正和
【代理人】
【弁理士】
【氏名又は名称】棚井 澄雄
【代理人】
【弁理士】
【氏名又は名称】増井 裕士
【事件の表示】
 平成10年特許願第  7608号「耐遅れ破壊特性の良いPC鋼線または鋼棒とその製造方法」拒絶査定不服審判事件〔平成11年 7月27日出願公開、特開平11-199928〕について、次のとおり審決する。
【結 論】
 本件審判の請求は、成り立たない。
【理 由】
1.手続の経緯
 本願は、平成10年1月19日の出願であって、平成18年10月13日付けで拒絶査定がされ、これに対し、同年11月30日に審判が請求されると共に同年12月28日付けで手続補正がされたものである。
 
2.本願発明
 本願発明は、平成18年12月28日付けで手続補正された明細書の特許請求の範囲の請求項1~8に記載された事項により特定されるとおりのものと認められるところ、そのうちの請求項1に係る発明は、次のとおりのものである(以下、「本願発明1」という。)。
 
「重量%で、
C:0.20~0.40%、
Si:0.05~1.5%、
Mn:0.3~1.5%、
Al:0.005~0.10%、
Nb:0.03~0.07%
を含有し、残部がFeおよび不可避的不純物からなる直径4mm以上12mm以下の鋼線または鋼棒で、金属組織の70%以上がマルテンサイトまたは下部ベイナイトからなり、かつ旧オーステナイト結晶粒の粒界の70%以上がフェライトで占められ、鋼線のL断面(圧延方向に平行な断面)において伸線方向に直交する方向と±45゜以内の角度をなす旧オーステナイト結晶粒の粒界の長さの総和が全粒界の長さの総和の20%以下であることを特徴とする耐遅れ破壊特性の良いPC鋼線または鋼棒。
 ここで、旧オーステナイト粒界とは、マルテンサイトまたは下部ベイナイトなどの焼入れ組織をピクリン酸などで腐食して現出される変態前のオーステナイトの粒界または優先的に生成したフェライト列をトレースすることにより求められる変態前のオーステナイトの粒界を意味する。」
 
3.原査定の理由の概要
 原査定の理由の1つの概要は、次のとおりのものである。
「本願の請求項1~8に係る発明は、その出願前日本国内または外国において頒布された下記の刊行物1に記載された発明に基づいて、当業者が容易に発明をすることができたものであるから、特許法第29条第2項の規定により特許を受けることができない。
 
刊行物1:特開平9-78195号公報」
 
4.引用刊行物とその記載事項
 原査定に引用された上記刊行物1には、次の事項が記載されている。
 
(a)「【請求項1】 重量%で、
C :0.2~0.6%、
Si:0.05~2.0%、
Mn:0.2~2.0%、
Al:0.005~0.1%を含有し、残部がFe及び不可避的不純物よりなる鋼において、焼戻しマルテンサイトと厚みが0.2~10μm以下の粒界フェライト組織からなり、且つ少なくても表層から0.1R(R:PC鋼棒の半径)の領域で旧オーステナイト粒の長さと幅の比が1.2以上であり、さらに引張強さが1300MPa以上であることを特徴とする遅れ破壊特性の優れた高強度PC鋼棒。
【請求項2】 重量%で、
Cr:0.05~2.0%、
Mo:0.05~1.0%、
Ni:0.05~5.0%、
Cu:0.05~1.0%、
V :0.05~0.3%、
Nb:0.005~0.1%、
Ta:0.005~0.5%、
W :0.05~0.5%、
Ti:0.005~0.05%、
B :0.0003~0.0050%の1種または2種以上を含有することを特徴とする請求項1記載の遅れ破壊特性の優れた高強度PC鋼棒。
【請求項3】 重量%で、
C :0.2~0.6%、
Si:0.05~2.0%、
Mn:0.2~2.0%、
Al:0.005~0.1%を含有し、残部がFe及び不可避的不純物よりなる鋼を熱間圧延するに際して、少なくても700~900℃の温度範囲で総圧下率が20%以上の熱間圧延を行う工程を経た後、Ar3 ~Ar1 の温度範囲で2~100秒保持しオーステナイト粒界にフェライトを析出させ、この後水冷することにより残部をマルテンサイトにし、引き続き10℃/秒以上の加熱速度で250~550℃の温度範囲に加熱し焼き戻すことを特徴とする遅れ破壊特性の優れた高強度PC鋼棒の製造方法。」(特許請求の範囲の請求項1~3)
 
(b)「【0011】限界拡散性水素量が高いほど鋼材の耐遅れ破壊特性は良好であり、鋼材の成分、熱処理等の製造条件によって決まる鋼材固有の値である。なお、試料中の拡散性水素量はガスクロマトグラフで容易に測定することができる。」
 
(c)「【0013】遅れ破壊が旧オーステナイト粒界に沿った粒界割れであることから、遅れ破壊特性の大幅な向上を達成するためには、粒界割れの発生を防止することが重要であるとの結論に達した。
【0014】オーステナイト粒界割れを防止する手段について、種々検討を重ねた結果、焼戻しマルテンサイトと粒界フェライトからなる組織を形成させれば限界水素量が高く、さらに、PC鋼棒の表層から軸中心方向に少なくても半径の10%にわたる領域において、オーステナイト粒の長さと幅の比であるアスペクト比(オーステナイト粒の長径/短径)が1.2以上である組織を形成させれば、1300MPaを超えるような高強度域でもオーステナイト粒界割れを防止できることを発見した。
【0015】即ち、オーステナイト粒をPC鋼棒の圧延方向に伸長させ、アスペクトを1.2以上にした焼戻しマルテンサイトと粒界フェライトからなる組織の鋼は、破壊形態が粒内割れになるため、限界拡散性水素量が大幅に増加し、耐遅れ破壊特性が格段に向上すると言う全く新たな知見を見出したのである。」
 
(d)「【0037】次に本発明で目的とする高強度PC鋼棒の遅れ破壊特性の向上に対して最も重要な点であるPC鋼棒の組織形態の限定理由について述べる。図2に焼戻しマルテンサイトと粒界フェライト組織からなるPC鋼棒の限界拡散性水素量に及ぼすアスペクト比の影響について解析した一例を示す。ここで、アスペクト比が1.0のPC鋼棒は、オーステナイト粒が伸長化されていない鋼である。
【0038】同図から明らかなように、オーステナイト粒を伸長化させてアスペクト比が増加するに伴い限界拡散性水素量が増加し、遅れ破壊特性が格段に向上する。ここで、アスペクト比が1.2未満ではオーステナイト粒界割れを防止することが困難であり遅れ破壊特性の向上が顕著でないため、アスペクト比の下限を1.2に限定した。なお、アスペクト比が1.5以上で遅れ破壊特性の向上効果が顕著になるため、1.5以上がアスペクト比の好ましい範囲である。」
 
(e)「【0040】このため、アスペクト比が1.2以上の領域を少なくてもPC鋼棒表層より0.1R(R:PC鋼棒の半径)にわたる領域に限定した。なお、図3から明らかなように、0.2R以上で遅れ破壊特性の向上効果が高いことから、好ましい条件は0.2R以上である。」
 
(f)図3には、半径に対するアスペクト比が1.2以上の比率が0.4前後の場合に、限界拡散性水素量が1.2ppmを超えることが記載されている。
 
(g)「【0041】図4はオーステナイト粒が伸長化しているPC鋼棒の限界拡散性水素量に及ぼす粒界フェライト厚みの影響について解析した一例を示す。粒界フェライト厚みが「0」は、粒界フェライトが存在しない焼戻しマルテンサイトからなる鋼である。同図から明らかなように、フェライト厚みが増加するほど限界拡散性水素量が増加し、遅れ破壊特性が格段に向上する。
【0042】ここで、粒界フェライト厚みが0.2μm未満では遅れ破壊特性が顕著でないため、粒界フェライト厚みの下限を0.2μmに限定した。なお、0.5μm以上で顕著な効果を発揮することから、好ましい条件は0.5μm以上である。一方、10μmを超えるとフェライトの体積分率が大きくなり、強度が低下しやすくなるため上限を10μmに制限した。」
 
(h)「【0043】フェライトの体積分率については特に限定しないものの、体積分率が多くなると強度が低下しやすくなるため、粒内フェライトも含めたフェライトの体積分率の好ましい上限値は20%である。また、粒界フェライトはPC鋼棒の全断面にわたって存在する必要はなく、PC鋼棒の表層から少なくてもPC鋼棒の半径の15%の領域で生成していれば、遅れ破壊特性を向上させる効果がある。」
 
(i)「【実施例】表1に示す化学組成を有する供試材を通常の熱間圧延条件で圧延した後、種々の温度範囲で保持し、水冷後、焼戻し処理を施してPC鋼棒を製造した。上記の試料を用いて、機械的性質、組織形態、遅れ破壊特性について評価した結果を表2に示す。遅れ破壊特性は、スポット溶接を施した試料を用いて、前に述べた限界拡散性水素量で評価を行い、負荷応力は引張強さの80%の条件で実施した。」
 
(j)表2には、本発明例である試験No.5、7及び9として、Nbを含有しない鋼種を用いたPC鋼棒であって、その表層から0.1Rの領域における、旧オーステナイト粒の平均アスペクト比値が、それぞれ3.6、4.1及び4.7であり、半径に対するアスペクト比が1.2以上の比率が、それぞれ0.73、0.78及び0.87であるものが記載されている。
 
5.当審の判断
(1)引用発明
 刊行物1の(a)に記載された請求項1を引用し、添加成分としてNbを選択した請求項2を独立形式で記載したものは、「重量%で、C:0.2~0.6%、Si:0.05~2.0%、Mn:0.2~2.0%、Al:0.005~0.1%、Nb:0.005~0.1%を含有し、残部がFe及び不可避的不純物よりなる鋼において、焼戻しマルテンサイトと厚みが0.2~10μm以下の粒界フェライト組織からなり、且つ少なくても表層から0.1R(R:PC鋼棒の半径)の領域で旧オーステナイト粒の長さと幅の比が1.2以上であり、さらに引張強さが1300MPa以上であることを特徴とする遅れ破壊特性の優れた高強度PC鋼棒。」のようになる。
 また、上記PC鋼棒の金属組織に関して、(g)の「フェライトの体積分率については・・・粒内フェライトも含めたフェライトの体積分率の好ましい上限値は20%である。」という記載によれば、フェライトは20%以下であるということができる。
 そして、(a)の「Ar3 ~Ar1 の温度範囲で2~100秒保持しオーステナイト粒界にフェライトを析出させ、この後水冷することにより残部をマルテンサイトにし」という記載によると、上記粒界フェライトは、水冷によりマルテンサイトに変態する前のオーステナイト粒、すなわち、旧オーステナイト粒の粒界に析出したフェライトであるといえるから、上記PC鋼棒は、旧オーステナイト粒の粒界にフェライトが析出したものであるといえる。
 さらに、上記PC鋼棒の「旧オーステナイト粒の長さと幅の比」とは、(c)の「オーステナイト粒の長さと幅の比であるアスペクト比」という記載によると、「旧オーステナイト粒のアスペクト比」と言い換えることができるといえる。
 そして、(e)の「図3から明らかなように、0.2R以上で遅れ破壊特性の向上効果が高いことから、好ましい条件は0.2R以上である」という記載、(j)の記載、及び(b)の「限界拡散性水素量が高いほど鋼材の耐遅れ破壊特性は良好であり」という記載を併せみると、上記PC鋼棒が十分な耐遅れ破壊特性を有するためには、旧オーステナイト粒のアスペクト比が1.2以上となる領域が「表層から0.1R以上」であれば十分であるといえるから、上記「少なくても表層から0.1R(R:PC鋼棒の半径)の領域」とは、表層から中心までの領域、すなわち、PC鋼棒の全段面の領域を含むように意図されていることは明らかであるし、また、(i)の記載をみても、上記PC鋼棒の製造に際して特別な熱間圧延を施すことを要する訳ではないから、上記PC鋼棒の全断面にわたり、アスペクト比が1.2以上の伸長化したオーステナイト粒が得られているといえる。
 
 上記記載及び認定事項を本願発明1の記載ぶりに則って整理すると、刊行物1には、次のとおりの発明が記載されているといえる。
 
『重量%で、C:0.2~0.6%、Si:0.05~2.0%、Mn:0.2~2.0%、Al:0.005~0.1%、Nb:0.005~0.1%を含有し、残部がFe及び不可避的不純物からなる鋼棒で、焼戻しマルテンサイトと厚み0.2~10μm以下の粒界フェライト組織からなり、金属組織の20%以下がフェライトであり、かつ旧オーステナイト粒の粒界にフェライトが析出しており、旧オーステナイト粒のアスペクト比が1.2以上である、遅れ破壊特性の優れた高強度PC鋼棒。』(以下、「引用発明」という。)
 
(2)本願発明1と引用発明との対比
 そこで、本願発明1の「PC鋼線または鋼棒」のうち「PC鋼棒」と、引用発明とを対比する。それに際し、本願発明1の「鋼線のL断面」とは、鋼棒のL断面と解すべきことは明らかであるから、そのように読み替えることとする。
 まず、引用発明の「旧オーステナイト粒」は、本願発明1の「旧オーステナイト結晶粒」に相当する。
 本願発明1における「マルテンサイト」とは、その製造方法から見て、焼戻しマルテンサイトを指すことは明らかであるから、引用発明の「焼戻しマルテンサイト」は本願発明1の「マルテンサイト」に相当する。また、引用発明は、焼戻しマルテンサイトとフェライトからなり、「金属組織の20%以下がフェライト」であるから、残りの80%以上は焼戻しマルテンサイトであるといえる。すると、引用発明の「金属組織の20%以下がフェライトであり」は、「金属組織の80%以上がマルテンサイトであり」と言い換えることができるといえる。
 さらに、本願発明1は「旧オーステナイト結晶粒の粒界の70%以上がフェライトで占められ」ており、引用発明は、厚みが0.2~10μmの粒界フェライトが旧オーステナイト粒の粒界に析出しているのであるから、両者は、「旧オーステナイト結晶粒の粒界がフェライトで占められる」点で共通するといえる。
 
 そうすると、本願発明1と引用発明は、「重量%で、
C:0.20~0.40%、
Si:0.05~1.5%、
Mn:0.3~1.5%、
Al:0.005~0.10%、
Nb:0.03~0.07%
を含有し、残部がFeおよび不可避的不純物からなる鋼棒で、金属組織の80%以上がマルテンサイトからなり、かつ旧オーステナイト結晶粒の粒界がフェライトで占められる、耐遅れ破壊特性の良いPC鋼棒。」である点で一致し、次の点で相違する。
 
相違点イ:PC鋼棒の直径が、本願発明1では、「4mm以上12mm以下」であるのに対して、引用発明では4~12mmであるか否かが不明である点。
 
相違点ロ:旧オーステナイト結晶粒の粒界を占めるフェライトが、本願発明1では「旧オーステナイト結晶粒の粒界の70%以上」であるのに対して、引用発明では、粒界フェライトの厚みが0.2~10μm以下であるものの、旧オーステナイト結晶粒の粒界の70%以上であるか否かが不明である点。
 
相違点ハ:本願発明1では、「鋼棒のL断面(圧延方向に平行な断面)において伸線方向に直交する方向と±45゜以内の角度をなす旧オーステナイト結晶粒の粒界の長さの総和が全粒界の長さの総和の20%以下である」のに対して、引用発明では、旧オーステナイト粒のアスペクト比が1.2以上であるものの、本願発明1のように、鋼線のL断面において伸線方向に直交する方向と±45゜以内の角度をなす旧オーステナイト結晶粒の粒界の長さの総和が全粒界の長さの総和の20%以下であるか否かが不明である点。
 
相違点ニ:本願発明1では、「旧オーステナイト粒界とは、マルテンサイトまたは下部ベイナイトなどの焼入れ組織をピクリン酸などで腐食して現出される変態前のオーステナイトの粒界または優先的に生成したフェライト列をトレースすることにより求められる変態前のオーステナイトの粒界を意味する」として、旧オーステナイト粒界に関する用語定義を規定するのに対して、引用発明では、そのような定義を有しない点。
 
(3)相違点についての判断
 上記相違点イ~ニについて検討する。
(3-1)相違点イについて
 一般に、PC鋼棒として、その直径が4~12mmの範囲にあるものは、特開平7-300653号公報の【0017】に記載されるように、本願出願前に周知の事項である。
 そうすると、PC鋼棒であることが明らかな引用発明において、その直径を4~12mmの範囲に含まれる寸法とすることは当業者が容易に想到し得たことであるといえる。
 
(3-2)相違点ロについて
 引用発明が、厚み0.2~10μm以下の粒界フェライトを形成する理由に関し、刊行物1の(c)には、「遅れ破壊特性の大幅な向上を達成するためには、粒界割れの発生を防止することが重要であるとの結論に達した。・・・焼戻しマルテンサイトと粒界フェライトからなる組織を形成させれば限界水素量が高く、さらに、PC鋼棒の表層から軸中心方向に少なくても半径の10%にわたる領域において、オーステナイト粒の長さと幅の比であるアスペクト比(オーステナイト粒の長径/短径)が1.2以上である組織を形成させれば、1300MPaを超えるような高強度域でもオーステナイト粒界割れを防止できる」ことが記載され、また、(g)には、「粒界フェライト厚みが0.2μm未満では遅れ破壊特性が顕著でないため、粒界フェライト厚みの下限を0.2μmに限定した」ことが記載されており、これらの記載によれば、遅れ破壊特性の大幅の向上を達成するためには、粒界割れの発生を防止することが重要であり、そのためには、焼き戻しフェライトと粒界フェライトの組織を形成させ、そして、この粒界フェライトの厚みを0.2μm以上となるようにする必要があることが示されている。
 ところで、このような粒界フェライトの形成は、亜共析鋼のオーステナイト粒界へのフェライトの析出現象であり、析出するフェライト量が多い場合には、オーステナイト結晶粒の粒界全域にわたって析出し、その厚みも厚いものとなるが、フェライト量が少なくなると、フェライトの厚みは薄くなるとともに、粒界フェライトが占める粒界の割合が小さくなることは、当業者が通常知る程度の技術常識であるから、このような技術常識を踏まえると、引用発明が、粒界フェライトの厚みを0.2μm以上としたのは、結局、析出するフェライト量が少ない場合にも、遅れ破壊特性を向上できるように粒界に析出するフェライト量の最低量を確保することを意図して、その下限値を限定したものと解することができる。そして、上述したとおり、フェライト量が少なくなると、フェライトの厚みは薄くなるとともに、粒界フェライトが占める粒界の割合が小さくなるのであるから、このようなフェライト量の下限値を規定するためには、その規定手段として、粒界フェライトの厚みの下限値を規定する手段を用いる他に、フェライトが占める粒界の割合の下限値を定めることによっても規定でき、それによって粒界に析出するフェライト量の最低量を確保することができるであろうことは、当業者であれば容易に予測することができたことである。
 してみれば、引用発明において、旧オーステナイト結晶粒の粒界に析出するフェライト量が少ない場合にも、遅れ破壊特性を向上できるようにすることをめざして、そこに析出するフェライト量の最低量を確保するために、その下限値を定めるにあたり、その規定手段として、粒界フェライトの厚みの下限値を規定する手段に代えて、旧オーステナイト結晶粒の粒界がフェライトで占められる割合の下限値を定める手段を採用し、その下限値の最適値を検討して数値で規定することは、当業者であれば容易に想到することができたことである。
 
(3-3)相違点ハについて
 刊行物1の(c)の「オーステナイト粒をPC鋼棒の圧延方向に伸長させ、アスペクト比を1.2以上にした焼戻しマルテンサイトと粒界フェライトからなる組織の鋼は、破壊形態が粒内割れになるため、限界拡散性水素量が大幅に増加し、耐遅れ破壊特性が格段に向上するという全く新たな知見を見出したのである。」という記載、及び(d)の「オーステナイト粒を伸長化させてアスペクト比が増加するに伴い限界拡散性水素量が増加し、遅れ破壊特性が格段に向上する。ここで、アスペクト比が1.2未満ではオーステナイト粒界割れを防止することが困難であり遅れ破壊特性の向上が顕著でないため、アスペクト比の下限を1.2に限定した」という記載によれば、遅れ破壊特性を向上するためには、粒界割れの発生を防止することが重要であり、そのためには、オーステナイト粒を圧延方向に伸長させ、アスペクト比を1.2以上とすることが必要であることが示されており、引用発明は、このような知見に基づいて、オーステナイト粒を圧延方向に伸長させ、その際のオーステナイト粒の伸長の程度を、「旧オーステナイト粒のアスペクト比(結晶粒の長さと幅の比)」という指標を用いて規定したものであることが認められる。そして、引用発明が規定するアスペクト比の具体的な範囲について刊行物1の記載を見てみると、表2には、Nbを含有しないものの、アスペクト比を3.6、4.1及び4.7のような値とし、遅れ破壊特性に優れたPC鋼棒が記載されており、このような記載からすれば、Nbを0.005~0.1重量%含有し遅れ破壊特性に優れる引用発明が、旧オーステナイト粒のアスペクト比を1.2以上と規定する範囲には、少なくとも、上記の3.6~4.7までの範囲を含むと解される。
 一方、本願明細書の次の記載「一般に遅れ破壊は亀裂がいわゆる旧オーステナイト結晶粒界を伝播し、破壊に至る場合が多い。そのため、棒・線の軸方向に直角な断面を考えた場合に、断面の直径方向と平行にオーステナイト結晶粒界が向いていれば、亀裂は容易に断面を貫通して最終破断を起こす。逆に、断面の直径方向と直角に、すなわち棒・線の軸方向に平行にオーステナイト結晶粒界が向いていれば、棒・線の表面から発生した亀裂は棒・線の軸方向へ分岐しやすくなり、断面を貫通して最終破断を起こす確率は低くなる。種々の実験により、鋼線の伸線方向を含む断面において、伸線方向と直交する方向と±45゜以内の角度をなす旧オーステナイト結晶粒の粒界は、それ以外の粒界と比べて破断を早める方向の粒界であることが確認された。」(【0017】)によれば、本願発明1も、遅れ破壊は亀裂が旧オーステナイト結晶粒界を伝播し、破壊に至る、すなわち、粒界破壊する場合が多いので、このような粒界破壊を防止するために、オーステナイト結晶粒を延伸させたものであり、そして、オーステナイトの延伸の程度を、「鋼棒のL断面(圧延方向に平行な断面)において伸線方向に直交する方向と±45°以内の角度をなす旧オーステナイト結晶粒の長さの総和の、全粒界の長さの総和に対する割合」という指標を用いて規定したものであるということができる。
 ここで、本願発明1は、上記指標の割合の範囲を20%以下と規定するものであるので、旧オーステナイト結晶粒を、その両端が半円形であり中央部が直線形状からなるカプセル形状を有するものと近似して、上記範囲をアスペクト比に換算すると、本願発明1の「鋼棒のL断面(圧延方向に平行な断面)において伸線方向に直交する方向と±45°以内の角度をなす旧オーステナイト結晶粒の長さの総和が全粒界の長さの総和の20%以下」とは、アスペクト比3.4以上に相当するといえる(審判請求書の平成18年12月28日付け手続補正書の第5頁第20行~下から3行を参照されたい。)。
 してみると、本願発明1と引用発明はともに、粒界割れの発生を防止して遅れ破壊特性を向上するために、オーステナイト結晶粒を伸長し、その際、オーステナイト結晶粒の伸長の程度を、指標を用いて規定するものである点において何ら相違するものではないし、しかも、両者のオーステナイト結晶粒の伸長の程度の範囲について、アスペクト比に換算して比較しても同じ範囲を有しており格別の相違はないのであるから、相違点(ハ)は、結局、同じオーステナイト結晶粒の延伸の程度を、同じ目的で規定するにあたり、単に異なる指標を用いて規定したというだけのことであって、実質的に相違するものとすることはできない。
 また、仮に、両者が、相違点(ハ)において相違するものではないとはいえないとしても、以下に述べるとおり、当業者が容易になし得たことといえる。
 引用発明は、旧オーステナイト粒のアスペクト比が1.2以上であり、この旧オーステナイト粒は、刊行物1の(c)に記載されるように、PC鋼棒の圧延方向、すなわち伸線方向に伸長させた形状であるといえる。このような旧オーステナイト粒は、そのアスペクト比が大きくなるにつれて、その全粒界のうち、伸線方向に直交する方向と±45°以内の角度をなす粒界部分の割合が小さくなることは当業者に明らかである。また、(d)の「オーステナイト粒を伸長化させてアスペクト比が増加するに伴い限界拡散水素量が増加し、遅れ破壊特性が格段に向上する。」という記載によれば、遅れ破壊特性の向上のために、旧オーステナイト粒のアスペクト比をより大きくすればよいことが示唆されているということができる。
 そうすると、遅れ破壊特性の向上を目的とすることが明らかな引用発明において、旧オーステナイト粒のアスペクト比を1.2以上の範囲内のより大きな値にして、旧オーステナイト粒を伸線方向に伸長化した形状とし、鋼棒のL断面(圧延方向に平行な断面)において伸線方向に直交する方向と±45゜以内の角度をなす旧オーステナイト結晶粒の粒界の長さの総和が全粒界の長さの総和の20%以下とすることは、当業者が容易に想到し得たことであるといえる。
 
(3-4)相違点ニについて
 旧オーステナイト粒界を、マルテンサイトまたは下部ベイナイトなどの焼入れ組織をピクリン酸などで腐食して現出される変態前のオーステナイトの粒界または優先的に生成したフェライト列をトレースすることにより求める手法は本願出願前の技術常識であり、引用発明においても、同様な手法により旧オーステナイト粒界を求めることは、当業者が容易に想到し得たことである。
 
(3-5)審判請求人の主張について
 審判請求人は、審判請求書の平成18年12月28日付け手続補正書の中で「引例1は、実施例の表2において、請求項1発明に比べて少量ではあるがNbを添加している試験No.3,8,10,11のアスペクト比が1.5~3.3と、請求項1発明で規定する範囲である「3.4以上」よりも小さな値となっている。言い換えれば、引例1では、旧オーステナイト結晶粒の形状は、延伸性が小さく、鋼材の直径方向と平行なオーステナイト結晶粒界が多いと言える。」と主張するが、上記(3-3)で述べたように、Nbを0.005~0.1重量%含有する引用発明が、旧オーステナイト粒のアスペクト比を1.2以上と規定する範囲には、少なくとも、上記の3.6~4.7までの範囲を含むということができる。
 そうすると、上記審判請求人の主張は失当であって、これを採用することはできない。
 
(4)小括
 したがって、上記相違点イ~ニは当業者が容易に想到し得たことであるから、本願発明1は、引用発明及び上記周知の事項に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものである。
 
6.むすび
 以上のとおり、本願発明1は、特許法第29条第2項の規定により特許を受けることができないから、その余の請求項について検討するまでもなく、本願は拒絶すべきものである。
 よって、結論のとおり審決する。
【審理終結日】平成20年6月16日(2008.6.16)
【結審通知日】平成20年6月17日(2008.6.17)
【審決日】平成20年6月30日(2008.6.30)
【審判長】 【特許庁審判官】長者 義久
【特許庁審判官】近野 光知
【特許庁審判官】山本 一正

(21)【出願番号】特願平10-7608
(22)【出願日】平成10年1月19日(1998.1.19)
(54)【発明の名称】耐遅れ破壊特性の良いPC鋼線または鋼棒とその製造方法
(65)【公開番号】特開平11-199928
(43)【公開日】平成11年7月27日(1999.7.27)
【最終処分】不成立
【審決時の請求項数(発明の数)】8
【前審関与審査官】小川 武

0 件のコメント: